柔道とか、オリンピックの報道を読んで
実は、北京オリンピック見ていません、基本的にスポーツに感心がありませんし、テレビ、そのものをあまり見ない人ですから。
ですから、オリンピックについての情報源は、新聞とこのインターネットになるわけですけれど。
さて、ただ、報道を読んでいて思うのは、「勝てば官軍、負ければ賊軍」とでもいうのでしょうか、選手も大変だなと思いますね。
柔道でも、何人かの人達が出場していたのでしょうけれど、たくさんの柔道人口があって、その中の頂点辺りに立つ人達が出場しているわけでしょうし、その人達はもちろん才能もあっただろうけれど、それだけでなく、日々、必死の思いで練習してこられたのでしょうし、そういった努力あって、こうしてオリンピックに出ておられるのだろうと思います。
勝負なんて時の運でもあります、なら、回りもですよ、試合で勝っても負けても、よう頑張った、えらい頑張ったなぁくらい言えばいいようなものですのに、怒ったり批判したり、なんだか、分析めいたことまでしたり。
結果が全てというのは、ギャラリーの我が儘であり、選手がそこへ、オリンピックという場に立つまでの苦労や努力、それは選手だけではなく、関わった人達全てのものではありますが、努力の結果としてのオリンピックの場に立ったことを喜び、勝っても負けても、よう頑張った、でいいではないか、プロレスの興業のように、見せることを目的の一つにしなくてもいいのではないか、などと思います。
そういう意味でも、オリンピックについて捉え直す今が良い機会なのかも知れません。
加えて、上のリンク記事にあります、
漢字の柔道とローマ字のJUDOの違い
とありますが、今一度、柔道とは何なのか、レスリングとの違いは、服装だけなのか、考えてみるのも興味深いことかもしれません。
私にとっての綺麗な勝ち方→相手に自分のうなじ、首の後を見せない姿勢で勝つ方。