なみゆいの会 周流杖術

周流旧杖術の会です。杖を使った型稽古の練習会です.

周流杖術という武道の練習会です. 交流武術研究会 周流代表 村中喜峰の作った武道です。 およそ、1メートル30センチの棒を使った型稽古の武道ですので、自由に打ち合うことはありません。

周流杖術 2018年3月より練習会を始めます

2018年3月より練習会を始めます。

周流杖術の練習会を始めます。

練習日・時間 第一日曜日 午前10時から11時までの1時間  (変更いたします)
内容 周流杖術初級 (私が下手なので、難しいことを教えることはできませんから、初級です)
参加資格 杖術に興味のある方。ただし、他の杖術をはじめ、剣道など武道を既に練習されている方はご遠慮ください。私にはうまい方に教える知識も技術もございません。
参加費用 無料
用意していただくもの 木の丸棒 太さは直径2センチから3センチくらい。長さは130センチくらい。ホームセンター等で購入していただければと思います。杖術は樫の棒を利用することが多いですが、お値段もしますし、強く打ち合うこともありませんから、普通に売っている木の棒で十分です。
期間 1年間 私の覚えている程度のことは一年もあれば覚えることができます。

周流杖術の解説は以下のアドレスからどうぞ。
http://namiyui.hatenablog.com/archive/2017/11/22

周流旧杖術の特徴

周流旧杖術の特徴

杖術の前に「旧」と付けているのは、私が教わったのは十数年前で、それ以降、周流杖術は進化しています。私はそれを覚えておらず、十数年前に教わった動きをぼちぼちと、一人で練習してきましたので、古い動きしか知らず、周流旧杖術と表現しています。
師村中喜峰は太極拳形意拳を主としております、ですから、武器術も武器を使わない体術の練習を深化させるための手段として作り出したものです。
ですから、杖術と言いながらも、杖で攻撃するという考え方はあまり採用していません。もちろん、動きとしては、杖で突いたり、打ち下ろしたりはします。

さて太極拳は接近戦の武術です。
肘や膝、腰などを使って攻撃します、つまりはできるだけ相手に近づかなければなりません。
杖術は相手に接近し、相手の攻撃範囲内にできるだけ安全に入り込むことを主眼に考えられていると、これは私はそう解釈しています。

結果、お互いが上手くなりますと、杖のぶつかる音がなくなっていきます。つまり、相手が杖で防御しているところに、わざわざ、杖で打ち込む必要はない。杖同士がぶつかる寸前に違う動きに変化する、そのように作られています。

杖術を習う理由はあるか

杖術を習う理由はあるか

もともと、練習会を始めようと考えたのは、杖術って一人では出来ない、相手がいる、相手が欲しいなと思ったからで、では、私から習うという人は、わざわざ、私から杖術を習う理由はあるのか。
これを考えるとなかなか厳しいですね、はて。

太極拳の場合、健康のためという動機が多いですね。ただ、私が教えようというものは、下半身に負担がかかりますから、膝を悪くしているような人や、体力に不安のある人はお勧めできません。
健康がだめなら、護身術として使えるか。
どうかなぁ、襲う側は準備万端でやってきて、襲われる側は自分が危険な状態であるなんてまったく思っていない、この関係性に置いて、護身術は有効に成り立つのか。そんな疑問を抱きます。

結局のところ、なんか変わったことやっている奴がいるぞ、ちょっと、冷やかしに行ってみるか、というニッチな人たちが対象かもしれませんね。

来春の発足にむけて

先生からも承諾を得たので、来春から練習会を始めるかなと思っています.
基本は月2回、1年で覚えることができるということを前提に内容を考えてみる.
というのも、型の二本目以降は失敗すると怪我をしかねないし、救急車を呼ばなきゃならないような状況に陥るのはいやです。
基本の素振りと一本目、それにごく基本の体操くらいなら、怪我もないでしょうし、それでいいかなと思っています.
あとは、どちらかでちゃんと練習してきた方はご遠慮願いたいですね.
そんな、たいそうなものを教える抽出しはありませんから。
素人がもう一段素人に、こんなふうに動くんですよ、って説明する.
それが私にとって精一杯ですから.

纏糸掌

纏糸掌

纏糸掌とは、単純に表現するなら、自然体に立ち、右手、左手を交互に前へ出すというだけの動きです。 確かに、その動きの手順を説明するだけでしたら、とても単純なのですが、同時にとても難しい基本練習でもあります。

 
まずは動き始めについて。

単純に腕に力を入れて、手を前に出せば、それは術ではありません。ごく普通の動きで特に練習する必要はありません。

初手の段階では、とにかく、自分なりに先生の動きを真似るしかありません。そして、同時進行で見る目を養いつつ、先生の言葉を記憶して、矛盾がない動きを見出していかねばなりません。

少しわかり始めましたら、上半身の力、特に肩や腕の力をその姿勢が維持できるぎりぎりまで力を抜くことが大事になります。ただし、下半身の力もすべて抜く わけではありません。腰はしっかりとした状態です。もっとも、その段階や得ようとするものによって、腰を緩やかにして、膝を、もしくは足首より下を充実さ せることを意識して動くことも大事ですが、これは、自身の動きがもっとこなれてからのことです。

動き出しは腕に力をいれず、下半身を微かに移動させ、体軸を微かに前に移動させることで、肩が前方に滑り出すように動きます。斜めの板に丸いものを置けば転がっていくように、下半身の位置の変化が動き出しを促します。

上半身の姿勢を崩さないぎりぎりのところまで、力を抜くことで、無理なく滑り出すことができると思います。 ただ、本当に微妙な変化によって、動き出すもので、目に見えて下半身の位置が変化するようでは、それは適切ではありません。

上記のように動くことによって、起こりの無い腕の動きとなり、同時にそれは上半身一体の動きとなります。熟練が進めば、それが全身運動となります。

 
手を伸ばしきったところで動きを止めるとき

風船の変化をとどめること

突きの衝撃はどうすれは、相手の体にとどめられるか。それは突きによって発生した相手の体の反発力を如何に押さえ込むかに依ります。拳の質量に対にして、反発する力は相対的に大きく、弾かれてしまいますと、力が伝わりません。

突きの速さを増すにはどうすれば良いか。サッカーや野球やゴルフ、ボールが凄い速さで遠くまで飛んでいきます。何故、あんなに速いのか。様々な工夫がされ てのものでしょうけれど、注目すべきは、例えば野球でボールを投げる、このホールは投手の手から離れて飛んでいきます。これが大事でして、人の拳は拳だけ が体から離れて飛んでいきません。つまらないほど当たり前のことですが、そこに大事があります。

突きの速さを増すには拳を腕から切り離してしまうこと、そして、突きの衝撃を増すには、突きがまるで体当たりになるかのように拳と体全体を繋ぐことが大事です。

纏糸掌の手を伸ばし終えたとき、掌の指先先端が足の裏までしっかりと繋がり一体となって地面を噛んでいることが肝心です。

 
纏糸のこと

体のそれぞれの部分を一つに繋ぐ方法が纏糸掌の纏糸です。

重いものを押し出そうとする時、どれほど足腰が強靭でも腕の力が弱ければ、重いものを押し切ることができません。

纏糸とは体の捻りです。

肘関節で考えてみます、重いものを押し出そうとすると、肘が曲がってしまいます。この肘を曲がりにくくするには、押し出している力の方向を軸に、微かに捻 りを入れることで、曲がりにくくなります、つまり、力を伝達し易くなるのです。この微かな捻りを一瞬で体全体に施すことで、体の部分一つ一つが一体にな り、ほんの指先一つの小さな動きでさえ、全身運動と化すことができるのです。

纏糸掌では、このように、体の各部の繋がりを切ったり、繋いだりすることをも教えてくれる動きです。

記号という受け取り方は面白いなと思う。

記号という受け取り方は面白いなと思う。

昭和のエートス 文春文庫 う19-13 内田樹/著出版社名 :  文藝春秋 
出版年月 :  2012年8月
ISBNコード :  978-4-16-783808-9 (4-16-783808-7) 

面白いなと読む。

格闘技の試合にしても、街中の喧嘩にしても、相手を殴ることがどうして出来るのか。
こういう捕らえ方はありだなぁと思う。
例えば格闘技の試合の相手、向かい合ったときに、ふと考える。
彼もがんばって練習したのだろうなとか考える、仕事、終えた後、ジムで汗を流したのだろう、その後、、仲間と飲み屋で未来を語り合ったのかなぁ。今日の試合も、家を出る前に近所のおばちゃんから、あんた、珍しく早いねぇとか言われて、今日は試合なんだ、頑張るよ、なんて言ったのかな。家で、親父からいつまで夢みたいなこと言ってんだ、お前ぐらいの奴なんて掃いて捨てるほどいるぞとか言われて反発して自分の部屋に閉じこもったり、彼女がいて、そんな危ないことやめてよ、なんていわれているかもしれないな。あ・・・、もしも、俺が彼を一発で倒してしまって、気絶した彼の元に、彼女が飛び込んで来て、だから辞めてくれって言ったのに、とか涙ながらに彼を抱きしめて、袖口なんかで、彼の吐いた血反吐を拭おうとしていたら、俺、もう絶対、ごめんなさいって謝ってしまうだろうなとか。

まっ、そういうことを考えたら、とてもではないけれど、目の前にいる彼を殴ることなんて出来ないわけだ。
逆に、彼を殴ることが出来るというのは、殴るという行為に対するこの様々な雑音が消えてしまうということだ、つまり、雑音を消していき、ひたすら、攻撃することに純化していくこと、様々なことごとを削いでいくことで、初めて、殴るという行為をおこなうことができるわけだ。
人であったはずの俺という存在が、殴るという行為のために、様々なものをそぎ落としていく、その結果が、記号化という、著者の展開なわけだろうと思う。

いじめも、多分、似たような展開であろうなとか思う。
俺が記号化してしまった・・・、我を取り戻してそれに気づいたとき、俺は呆然とするであろうなと思う。そして、それを受け入れたとき、俺は人ではなくなるのだろう。

そこまでの実体験は私にはないけれど(多分)、それはあまり幸せなことではないなぁとか推測する。

記号化は感染する。気をつけねばならない。
少なくとも、試合では、記号化から、身体の言語化へと転位しなければならないと思う。

つまりは、おはようございます、今朝は寒いですね、もう師走ですから、そんな定型的な会話に準えて、動きを定型化していく、いわゆる、型稽古を導入することで、人を記号化させないことが大事だと思う。

多分、これについては、型稽古についての認識の違いから、大いに誤解をうけるだろうけれど、気が向けば解説したいと思う。

武術的健康体操とは

様々な健康体操がある中で、特に武術的と書きましたのには理由があります。

武術と申しますと、殴ったり蹴ったり、格闘技と同じように思われる方も多いでしょうが、もし、分類するというなら、武術は格闘技など、空手や、柔道、レスリングとではなく、踊りや舞に近いものだと考えています。
もちろん、武術では、突きや蹴りもありますが、武術は格闘技のように、明確に存在する目の前の相手に勝つための技術というより、とりあえずは自分自身が負けないための技術だと思っています。

ですから、武術では向かい合っての真っ向勝負という想定はありません。
自分に危害を与えようという相手にうっかり出くわしてしまい、出来れば逃げたいけれどそうもいかず、仕方なしに闘うことになってしまう、そういう前提で考えていますので、出来るだけ相手の攻撃をがしっと受け止めるようなしんどいことは避けたい、また、攻撃するにしても、無理に力まず、でも、効果のある突きを繰り出せればいいなぁ、とか、ま、考えるわけです。
さて、そういう、都合の良い動きをするには、効率の良い、無駄のない、洗練されて、柔らかな角のない動きを身につける必要があり、それこそが武術的な体の動かし方なのです。
ここ最近良く見かけるお店がマッサージや整体のお店。流行りなのかなと思いますし、私の知り合いも通っていますが、ああいうのって、週に2度3度と行くこともあるらしいですね。一度行って体を整えてもらえば、糖分、行く必要がないのではと思うのですが、どうもそれは考え方が違うらしい。
体を整えても、日常の習慣となった動きに歪みがあるから、日常の動きそのものを直していかない限りはずっと通わなきゃならない。
武術的動きというのは、この日常の動きから変えていくことを目指しています、そして、それに特化したのが武術的健康体操だと思います。

ただ、武術的健康体操のかなり大きな問題点として、今まで長年かけて身につけてきた、「普通の体の動かし方」を全否定して、0から体の動かし方を覚えていかねばなりません。それは、今までの自分自身を否定することにも繋がり、よほどの強い思いがなければ続けることは困難かもしれません。


ゆるみ

ゆるみ、感覚的にはとろけるチーズ

ゆるみ」というのは、太極拳教室にて練習している周流の基本的な練習法の一つで、柔軟体操の一つとも言えます。

ただし、見た様子は柔軟体操には、ほぼ、見えません。

動いているか動いていないか、わからないほどゆっくりと、しゃがんだり、両手を広げたりします。

「体操 ゆるみ」などで検索されますと、たくさんの検索結果が表示されると思いますが、ほどんどが、ゆらゆら体を振ったり、確かに緩んでいるなぁと直感的に思うことができるような動きであるかもしれません。

どうして、そういう違いが現れるのか、つまりは「ゆるみ」とは何か、ここへ遡って考えるのが、適切な練習に繋がるかと思います。

つづく